2007年2月28日水曜日

久しぶりに訪れた米国


“切らない”外科医療
先週、僕は低侵襲外科学会出席のため、米国にユタ州、ソルトレーク市に旅立った。米国本土に行くのは2002年以来5年ぶり。学会に出席してみて、いわゆる“切らない外科治療”が日本だけではなく、世界の常識になってることを痛感した。従来までの外科医の常識、“切って治す。”はすでに通用しない。そもそも、人間はよほど変わった人を除いて、“切られる”のは本能的に避けたいと思う。外科医がメスを使うのは、切らないと治らない癌のような病気だった。患者さんは、命が助かるならやむを得ないと覚悟を決めて外科手術に望む。
特に、命に関わる医療ではなく、あくまで個人の生活レベル向上のために行う美容外科は、真っ先に切らない治療が主体となるべきと言える。外科医は“切ってなんぼ、自分たちの仕事は切ることにある。”と考えることが少なくない。そう言った考え方を根本から変える時期が来ている。

スキーのメッカ、ソルトレーク市
サンフランシスコまでは成田から飛行機で8時間、そこから飛行機を乗り継ぎ、2時間でユタ州、ソルトレーク市に到着した。学会には香港友人のHo先生が出席しており、空港に車で迎えに来てくれた。ソルトレーク市は2002年に冬季オリンピックが開かれたウインタースポーツの盛んな街。富豪の家系に生まれたHo先生は、なんとこのソルトレーク市の山麓に別荘を持っている。学会中、僕はHo先生の別荘に滞在することになった。大のスポーツ好きのHo先生は、別荘から20分の位置にある全米屈指のスキーリゾート、スノーバード・スキー場へ行くため、この家を手に入れた。
雪国で育った僕もスキーは歩くのと同様、いつの間にか覚えた。スキー検定一級は中学時代に取得し、医学生時代の5年間、毎年70日近くをスキー・インストラクターとしてスキー場で過ごした。僕のスキーの腕前は、オリンピックに出場した同僚たちとのトレーニングでめきめきと上達した。すでに一生分、スキーは滑ったからもう十分だろうと思って、過去5年間は一度もスキーに行っていない。しかし、今回標高3000メートル級、ロッキー山脈でスキーを経験し、再びその楽しさを味わうことになった。

米国の実態
モルモン教徒の多いソルトレーク市の治安は、全米で一番良いと言われる。しかし、僕の到着する数日前には全米を震撼させる事件が起きていた。18歳のボスニア系移民の若者が、この街のショッピング・モールでショットガンで4人の通りすがりの買い物客を撃ち殺した。学会場近くで起きたこの事件、物好きな僕は早速現場を訪れてみた。事件直後のショッピングモールは閑散としていたが、亡くなった方々への花束が掲げられていた。米国はその豊かな経済力を使って、世界一強力な国家となり、イラク介入など、少々強引と思われることをし続けている。しかし、米国国内での実態はそのような繁栄とうらはらに、物騒な事件が絶え間なく起きている。5年ぶりに訪れて垣間見た米国の理想と現実、世界屈指の強国に対し、案じる気持ちを持ちながら帰国の途についた。

2007年2月10日土曜日

映画、“幸せのちから”


“決してあきらめなこと。”
日曜の夜遅くふと時間が空いたので、近所の映画館にウイル・スミス主演、“幸せのちから”という映画を見に行った。夜9時過ぎから始まったにもかかわらず、場内は多くの人で混み合っていた。僕がこの映画を見に行ったのは、この映画に“決してあきらめないこと。”という副題がついていたから。
映画の内容自体は極めてシンプルなもので、舞台は1980年代のサンフランシスコ、30台後半の米国黒人男性(ウイル・スミス)が医療機器の販売に携わっている。彼は高額なこの医療機器を、全財産叩いて100台近く買い込んだ。1台売るごとに、300ドル程度の儲けがが出る。しかし現実は厳しく、そう簡単には売れない。幼い子供のいる彼の家庭は、夫婦共働きで夫婦共働きにもかかわらず経済的に困窮し、妻の不安は募るばかり。ついに妻は家を出て、彼女の家族の住むニューヨークへと旅立ってしまう。責任感の強い彼は子供を自ら引き取ったが、家賃滞納で住む家を失う。彼は全財産20ドルの極限状況まで追いやられ、夜を明かす場所もなく、駅構内のトイレで息子と惨めな夜を過ごさざるを得ない状況だ。こんな状況の中、みじめに思った彼の目からは熱いものがこみ上げる。
しかし、この映画の副題にある通り、彼は“決してあきらめない。”タイプの人間だ。彼は自分の得意な数学の能力を生かし、証券マンとしての再生にチャレンジする。しかし、証券マンとして生き残るためには半年間の無給での見習いを行い、その候補生20人中1名のみが生き残れる険しい道のりだ。ホームレス施設で過ごす夜、窓から差し込む明かりを頼りに、試験勉強をする彼の姿は映画を見る皆に感動を与える。必死で努力を試みた彼は、ついにこの狭き門をくぐり抜けた。映画のラストシーンで、彼はこみ上げる喜びを必死で押さえようとするが押さえきれず、一人その歓喜に浸る。

人生にとって大切なもの。
この映画は実話に基づいたとは言え、典型的なサクセス・ストーリーだった。しかし、興行的には大成功を収め、観る者の多くの心を奪った。それは何故だろうか?それはこの映画に人生において大切なポインがあるからだと思う。主人公が、他にもお金を稼ぐ手段はあったにもかかわらず、競争の激しい証券マンになるための努力をしたのは何故だろう?彼には最愛の息子がいた。人は家庭を持つと、一人ので生きていたときのように、自分勝手に振る舞うわけにはいかなくなる。特に子供が生まれると責任は一層重くなり、人は精神的に成熟すると言う。映画の中の彼は自分の息子に、誇り高き生き様を見せたかったのだろう。
次に、彼の経済的状況を考えてみよう。確かに人は、経済的に豊かなほうが幸せに決まっている。しかし、経済的に恵まれている人間が必ず幸せかと言えば、そうではない。僕自信も学生時代、経済的には恵まれていなかった。しかし、お金が無くてもスポーツや研究に没頭することが出来た。また、その分野で、自分の努力によって目標レベルに到達出来たときは、この上ない喜びを感じた。
当時と比べると、現在のほうが格段に経済的には豊かになったが、豊かになっただけ幸せになったとは思えない。僕の場合、高級車や高級クラブのはしごなど、お金のかかる趣味はないので、ある程度のお金があれば十分に満足のゆく生活が出来る。では、人にとって本当の幸せとは何だろうか?映画、“幸せのちから”が訴えるように、愛する家族のために、自らが誇りを感じる仕事を持ち、充実感を味わいながら生きることこと。そこに人は本当の幸せを感じるのではないだろうか。