2006年2月28日火曜日

女性について−4


美容外科学会に参加する意義
美容外科学会に参加すると最新の美容医療についてのテーマがことの外多い。最近の話題はなんと言ってもメスを使わない美容治療がもてはやされている。美容医療の進歩はとても早く、新しいタイプの治療法が次から次へと出てくる。我々美容外科医も学会に出席して、本当に価値のあるものを見極めなければならない。
これらの学会では過去に業績のある医師の中から、記念講演みたいなものが必ずある。ある時出席した上海の学会で、フランス人美容外科医、フルニエ医師の講演を聴いた。彼は“現代美容医療の父”と呼ばれる輝かしい業績がある。脂肪吸引も彼ら美容外科の創始者たちによって世界で初めて行われた。最新の美容医療に関する発表が続く中、フルニエ医師の発表は一風変わっており、“女性の魅力とは何か”についての発表だった。

二タイプに別けられる女性の顔の魅力
そもそも女性の顔の魅力とは何かと一口で言うにはとても難しい。フルニエ医師は講演の中で、女性らしい魅力を美しさと可愛らしさは別のもとであると述べた。美しい顔立ちとは彫刻のような均整のとれた顔立ちを表す。例えば、顔立ちにはいわゆる‘黄金律’という、美しいバランスがあって、“黄金律”に従っていることが美しいとされる。西洋美人はこの‘黄金律’に従った顔立ちのことを言う。しかし、このバランスのとれた顔に欠点がないわけでもない。バランスのとれた顔は発達していて大人っぽく見えることが多い。つまり、目、口が大きく鼻が高い美人となり、完成された感じの美人となる。例えてみると、ミロのビーナスのような堀の深い顔だ。このような顔立ちの女性は、十分美しいのにもかかわらず、さらにきれいになりたいと言う。しかし、このタイプの女性を、美容外科的にそれ以上、美しくすることは不可能に近い。このタイプの女性が、美しさとして求めているのは、次に述べる“可愛らしさ”の場合が少なくない。
では、“可愛らしさ”とは何を意味するのだろうか?「あの子、可愛いよね。」と呼ばれると、それは美しい顔立ちのことを意味しない。いわゆる‘美しい顔立ち’が発達した、もしくは大人びたことを意味するのに対し、‘可愛いらしい顔立ち’の特徴は幼さの残る、いわゆる童顔のことを言う。童顔が何故、可愛らしいかと言えば、赤ちゃんや幼い子供のように見えるからだ。童顔の特徴は額が大きい割に、鼻、口、あごなどがまだ未発達な所だ。口やあごなどが未発達であることを、動物学的に解釈すると、その個体が自分自身で食べ物をもりもりと食べることが出来ないことを示す。つまり、このタイプの顔立ちは、幼いもの、弱いものを守ろうとする人間の保護本能をくすぐる。例えば、“キューピーちゃん”や“ミッキーマウス”などのマスコットは、“可愛らしさ”の持つ、未発達な特徴を有しており、万人から愛されている。

日本人に生まれた幸運な女性
東洋人の美しさの基準には後者に述べた、この可愛らしさが織り込まれている場合が多い。現在人気のある芸能人たちも、美しさよりも可愛らしさの比重が高い。東洋人が西洋人に比べて、実際の年齢より若く見られるのも、この“可愛らしさ”が作用しているからだ。本来、女性は守られる立場にあるので、“可愛らしさ”が際立っていると、男性からはとてもモテるのだ。日本人女性は世界の中で、この“可愛らしさ”が最も備わっている女性なので、今や世界どこへ行っても人気がある。

二つの魅力は同時に手に入らない理由
美容外科にくる女性の美意識が相当に高いことは簡単に想像出来るだろう。これらの女性の中に次のようなことを要求する女性がいる。「先生、鼻筋を通して顔立ちをきれいにしてください。そして、若々しくて可愛らしくしてください。」と。しかし、この女性は先ほどまでに述べたように、美しさと可愛らしさ(若さ)は相反するものであることを理解していない。どちらかを追求すればどちらかを失うことになるので、そこが美容外科医の美的センスが問われることになる。あくまでも、その女性の美しさを最大限に発揮するためのバランスを整えることが大切となる。

美容外科として理解すべきこと
このような話をフルニエ医師から聞き、目から鱗が落ちる思いだった。とかく我々医師は、技術的なことばかりを追求するあまり、自分たちの行っている行為の本筋を見失うことが多い。最先端の技術を求めるのも大切だが、“女性の魅力”とは何かを知ることの方が、優秀な美容外科としてさらに重要な要素となる。そんな僕も、美容外科を志した当初は教科書ばかり読みふけっていたが、ある時十仁病院の梅沢院長に「お前、そんな教科書ばかり読んでないで、銀座の街を歩いて、どんな女性が魅力があるのかよく見てこい!」と、どやされたことがある。その当時は「教科書を読むより、街で女の顔を一人でも多く見る方がどうして大切なのだろうか?」と耳を疑ったが、後年美容外科として一人前になるには、“女性の魅力”とは何かを知ることが、ことの外大切であると知った。

2006年2月22日水曜日

診察日記ー6(サーマクール)


初めて見たサーマクール
僕が初めてサーマクールを見たのは、3年前に香港の女性皮膚科医、ティーニー・ホー医師を香港の中心街にある、彼女のクリニックを訪れたときだ。香港の患者さんたちが、日本で僕の治療を受けた後に抜糸等の処置がある時は彼女が行ってくれるので、大変助かっている。彼女は人懐っこく、可愛らしいキャラクターなので、香港でも売れっ子の美容皮膚科医として広く知れ渡っている。
ティーニーのクリニックに僕の香港人の親友、ウイリアムと訪れた時に、何やら見たことのない機械が運び込まれていた。ティーニーにそれが何か尋ねた所、切らずに顔のたるみを改善する、アメリカで開発されたサーマクールと呼ばれる装置であることを教えてくれた。そこにはこの装置のセールスマンがいたので、その中味について詳しく尋ねてみた。そのセールスマンは顔に何やら入れ墨のようなものがついていてびっくりしたのだが、それはサーマクールを照射するために顔に貼ったシールだとわかってほっとした。
この装置の原理は皮膚の下にある皮下組織と呼ばれる肌の弾力性に重要な部分に作用するのだ。生のステーキを想像してほしい。ステーキは焼く前に柔らかくだらっとしているが、焼き始めると縮んで締まってくる。つまり、タンパク質は熱を加えると縮んで、弾力性を取り戻す。この原理を使ったのがサーマクールだ。では、どのように皮下組織と呼ばれる所に熱を加えるのだろうか?それにはラジオ波と呼ばれる高周波エネルギーを加えるのだ。このエネルギーは電子レンジを想像してもらうと分かりやすい。電子レンジの原理は食べ物に含まれる水分の電子を、電磁波で振動させて熱を起こす。これと同様に、ラジオ波を使うとタンパク質の中にある水分の電子を振動させて、熱を発生させるのだ。この温度は60度近くに達すると、タンパク質を引き締めることが出来る。この装置の凄い所は表面の皮膚がやけどなどを起こさないように、最初にまず皮膚を冷たく冷やして、その直後にエネルギーを加え、熱が十分発生すると、最後にもう一度急激に冷却する所だ。実際にサーマクールを体験すると、冷たい、熱い、冷たいの3ステップを感じることになる。
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サーマクールの欠点
論理的には良さそうな装置であるが、僕がサーマクールに出会ったのは、開発直後だったため、本当に効くのかどうかは判断出来なかった。興味はあったものの、3年前には日本でも発売されていなく、この治療を受け始めていた香港人たちの結果を待つしかなかった。好奇心の旺盛な香港の僕の知人たちは、こぞってこの治療を受け始めていたのだが、感想を聞いてみると、何しろもの凄く痛いらしい。拷問のような痛みを感じるとのことで、結果はともかく痛みに関する悪評が高すぎる感じだった。僕は内心、「美容医療は病気ではないので、そんなに痛い思いをさせるような装置は将来性がないな。」と思った。
それからしばらくして、サーマクールは日本でもデビューすることになった。何しろ、“切らないでリフトアップ効果がある”とのキャッチフレーズで導入されたので、美意識の高い女性たちは果敢にもこの治療に挑戦した。知り合いのいわゆる“セレブ系”女性がこの治療を受けたのだが、開口一発「あんな痛い治療、もう二度と受けたくないわ!」と叫んだ。僕は「やっぱりか、これはだめだな。」と確信した。その後のサーマクールの評価はひどいもので、“高い、効かない、痛い”などの酷評がなされるようになってしまった。
その後、サーマクールはマイナーチェンジが行われ、以前より痛みが少なくても、同じ効果が得られるようになったらしい。僕も一度この治療にチャレンジしてみたのだが、やはり痛みが強く、エネルギーの出力を耐えられる程度まで下げてもらって、ようやく受け入れることが出来た。しかし、エネルギーがかなり弱かったせいか、著しい効果を得ることが出来なかった。この治療にはジレンマがある。つまり、エネルギーを強くして効果を高めようとすると、痛みが強くなるのだ。逆に、痛みを和らげるためにエネルギーを弱めるとリフトアップ効果が弱くなる。僕はこの装置に価値を見いだし始めていたものの、「とにかく痛みが問題だよ、この治療は。」とつぶやいた。。
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ハワイのパスカル医師
そんなことを考えながら一年近く時間が経って、去年の秋僕は東京で行われたアンチエイジングの学会に出席した。僕の発表は、自分のクリニックで取り組んでいる目の周囲のアンチエイジング治療だった。発表を終えて一息ついていると、今回の学会に、ハワイから招待されていた美容外科医、アンソニー・パスカル医師を紹介された。彼の発表は脂肪分解注射、“いわゆるメソセラピー”の話だったが、彼も講演を終えて一段落していたのだ。パスカル医師は会った瞬間にこの人とは仲良くなれると閃いた。本人曰く、彼はニューヨーク近くの貧しいイタリア系移民の家庭に育った。医師になることを決意した彼はニューヨークにある大学の医学部を卒業し、形成外科医となった。形成外科医時代は僕と同様、マイクロサージャリーで、切断指の再接着などを行っていたので、僕と話が合った。外科医として昼夜を問わない激務の末に彼は美容外科医となり、ハワイに開業したのである。彼はその育った家庭環境のおかげで、一般庶民の受けがとても良いと評判であることを後に聞いた。確かに、美容外科医の場合、学問肌で理論武装するより、患者と同じ目線に立てる人柄の方が、患者さんも親しみが持てて、その医師の人気が上がるのだ。

サーマクールについてのディスカッション
パスカル医師の来日は今回が初めてだった。会場の外にあるレストランで、日本とハワイの美容医療事情について、パスカル医師と僕は夢中になって、数時間語り合った。気がついた頃にはもう学会が終わる時間が近づいていた。僕はサーマクールについても次のように尋ねてみた。「とにかく、サーマクールは痛くて評判が悪いんですけど、どう思いますか?」パスカル医師は「麻酔を使えば、痛みは平気だよ。サーマクールは本当にいい装置で、俺のクリニックでは大人気さ。」と答えた。僕は耳を疑った。「あの痛さのせいで評判の悪いサーマクールがハワイでは人気があるなんて!」と。パスカル医師は顔の知覚を支配する神経を局所麻酔でブロックすれば、痛みはほとんど感じないで治療出来ることを教えてくれた。彼自身も治療を受けたらしいのだが、頬のたるみが改善されて、とても満足していた。よく考えてみると、痛みのコントロールには麻酔しかない。麻酔なしで外科治療はありえないのだ。サーマクールも外科医としてのスタンスで用いれば良いのだ。麻酔なしでサーマクールを効果的に使うとすれば、麻酔なしで歯を抜くのと同じで、拷問のような感じとなって耐えられた代物ではない。
パスカル医師との話し合いのあと、急にサーマクールの価値に気がついた僕は自分のクリニックで、当クリニックのモデル患者に麻酔を用いてサーマクールを行った。痛みをほとんど感じさせることなく治療することが出来た。あとは治療結果を待ったが、術前と3週間後の写真を比較すると明らかに効果が出ていて感動した。(当クリニッック、ホームページのサーマクールを参照してください。)その結果は、メスを用いて行うフェイスリフト手術に匹敵するものとなった。
痛みさえコントロール出来たら、サーマクールはリフトアップ効果を有する理想的な装置だ。治療終後に腫れたりすることもなく、直後から普通通りの生活が出来るのも魅力的だ。値段も適正なものとなりつつあり、従来のフェイスリフト手術に比べると料金は四分の一程度である。一度治療すると、少なくとも数年その効果が持続するし、数年経ってから再度治療することも可能である。気になる副作用も報告されたことはない。
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ハワイを訪れて
学会終了後、しばらく経ってから僕はハワイにあるパスカル医師のクリニックを訪れた。ちょうどその日、パスカル医師はタミー・タック(お腹の弛みを縮める外科手術)が予定されていたのだが、彼の手術の助手として僕が手術に参加することとなった。全身麻酔下で行われるこの手術は患者さんは完全に意識がない。パスカル医師は手術が始まると、それまで流していたイージーリスニングからビートのきいたラップ・ミュージックに切り替え、音楽のボリュームをアップした。僕たちはこのラップ・ミュージックを聞きながら、夢中で手術を行った。二人の医師で行ったこの治療は通常より早く終わった。韓国でも、アメリカでも、手術の緊張感と達成感は外科医が共通に感じ合える特別な喜びである。外科医はメスをふるうことに自分たちの存在価値を見いだすが、サーマクールのような優れた装置が出てくると、どんどんメスを持つチャンスが減る気がしないでもない。しかし、切らないできれいになるに越したことはないわけで、顔のリフトアップに関して、外科手術はサーマクールに負けを認めざるを得なくなる日は近いだろう。だが、僕たち外科医は機械がどんなに進歩しても、かならず自分たちの技術や感を活かして仕事をして行くことが出来ると信じている。。。
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2006年2月18日土曜日

アンチエイジング診療の外ー9(ポルトガル紀行)


ポルトガルの歴史
2003年の9月中旬、ポルトガル・リズボンにあるDr.Rebeloの美容外科クリニックにて10日間の手術研修を行った。ポルトガルで日本人に馴染み深いものとしては、フランシスコ・ザビエルの鉄砲伝来やカステラ・テンプラの由来といった歴史的なものが主である。ヨーロッパでの歴史も15世紀における海洋王国として世界に名を馳せたものの、現在ではさほど目覚しい経済発展もなく、ヨーロッパでは貧国として位置付けられている。
しかし、経済先進国と言われるわが国もバブルがはじけ、さらに米国のITバブルが崩壊し、先進国主体の20世紀型大量消費・大量生産に基づくニューエコノミーと呼ばれる経済発展が幻想であることに気が付かされた。このような形の経済発展は地球環境に有害であり、金銭欲・物欲に惑わされた人間のマネーゲームが長続きしなかったことは地球規模でみると必然であったのかもしれない。
ラテン人の国民性は“人生に必要なものはお酒、サッカー、そしてサンバ”といわれるが、ポルトガルはかって、ブラジルを植民地としていたせいもあり、ヨーロッパの中でもひときわラテン的である。高度先進国が経済的成長を求め続けていた時代も、これらの国々はマイペースで独自の文化を守り続けていたと思われる。

ポルトガルの美容医療
ポルトガルの美容医療は、日本における症例とほぼ同様で、脂肪吸引、フェイスリフト、上下眼瞼下垂除去、乳房縮小などが主である。しかし、美容医療に対するコンセプトは異なっており、いかに低侵襲でダウン・タイム(治療から回復までの時間)が短く、患者に対する治療的・社会的負担を軽減することが重要視されている。すべての手術に関して日帰り手術を実践し、そのために何が必要かを熟考した上で手術方法を決めている。フェイスリフト手術では局所麻酔による縮小手術を部分的・段階的に行うことでダウン・タイムのない手術が主流となっている。
目の下のたるみ治療では余分な皮膚の除去を行わず、眼球中央部で下眼瞼下に5mm程度の横切開を加え、そこから脂肪のみを取り除くことでたるみを改善するというものである。Dr.Rebeloの意見では皮膚除去を行わなくても、余分な皮膚は収縮するとのことで良好な結果を得ているそうだ。この治療で懸念される下眼瞼の外反(いわゆるあかんべー)が起こらないので、リスクのない手術として注目するに値する。当院でも結膜面からの治療で良好な結果を得ている。

おわりに
日本には比較的馴染みの少ないポルトガルではあるが、物価は安く風光明媚で、大変居心地のよい国である印象を得た。米国主流の医学とは一味違った観点で行われている美容医学に触れることが出来、大変興味深かった。それも経済大国には迎合しない、ポルトガル人の国民性に根付いた独自な文化によるのだろう。戦後、米国に追従して形成された日本文化も、今世紀はヨーロッパやアジア近隣諸国とより国際交流を深めることによって、独創性のあるものにしてゆく必要性を感じた。

2006年2月14日火曜日

アンチエイジング診療の外—8(香姫園のとり煮込みそば)


銀座の時間
銀座には銀座特有の時間がある。朝10時頃、中央通を歩いてもまだ店のシャッターは閉まったままだ。まだ街は眠りから覚めていないような状態だ。シャッターが開いて、街に人が出てくるのは11時くらいからになる。週末の歩行者天国は12時に始まるが、他の場所と比べると始まるのが遅い気がしてならない。それに合わせて僕のクリニックも営業時間は11時開始で、終わるのは夜8時と遅い。仕事帰りのOLさん達は6時過ぎにスキンケア的なことをやりに来て、この時間帯は多忙となるためこのような営業時間帯となる。
仕事を終えて帰って食事でもと思う頃には午後9時をまわることも少なくない。僕の自宅は日比谷線六本木駅から歩いて10分くらいの場所にある。こんなに遅くになると、家に着くまで我慢出来ずに外食する衝動に駆られる。北海道で地方の病院で働いていた時は選べる店は数件しかなかったので、何も困らなかった。だが、六本木駅の周りには見渡す限り飲食店だらけなので選ぶのが何より大変で、悩んでいるうちに一体何を食べたら良いのかさえ分からなくなる。そうなると店で選ぶのではなく、とにかくこの辺りで過去に美味しかった記憶のあった食べ物を必死に思い起こすしかない。

六本木の老舗中華料理店
僕が十仁病院に勤務していた頃、梅沢院長とはよくこの辺に外食に来たものだ。特に、海外で学会が終わった後に成田空港に到着して、東京までの帰り道に梅沢院長は「あー、お腹がすいたな。お前、何食いたいんだ?」と僕に聞いてきた。僕は「さんざん肉は食べたから、何かあっさりしたものがいいんじゃないですか?」と答えた。梅沢院長は「じゃー、六本木でとり煮込みそばでも食おう。」と言った。このとき初めて六本木にある香姫園のとり煮込みそばを食べた。梅沢院長によると香姫園はもう何十年も前からある六本木でも有名な老舗の中華料理店で、梅沢院長が若い頃は頻繁にこの店のとり煮込みそばを食べていたらしい。僕の想像は鶏肉の入ってあっさりとしたかしわそばのようなものだろうと思ったのだが、実際には中華料理特有のラーメンのような麺に、鶏ガラをしっかり煮込んだスープだった。思わず僕は「このそばのどこが、あっさりしてるんだろうか?」と梅沢院長に言いそうになったが、黙って食べてみるととりのだしがたっぷりとでていて思いがけず美味しかった。それ以来、このとり煮込みそばのことが忘れられなくなり、六本木に行く時は機会があれば食べていた。

東洋人の味覚
何故この味が美味しいのだろうと思い起こしてみた。今から10年前、ニューヨークに留学していた頃、貧しい学生だった僕は格安の中華料理屋さんで食事をすることが多かった。誰も知人がいないこの街に暮らすことになったひとりぼっちの僕は友達を作るのに苦労した。ニューヨークのような大都会ではエイズや暴力犯罪などが多く、見知らぬ他人が友達になることは考えられない。同じ職場や友人の紹介を通して友達が出来る。僕の研究室には日本人と中国人の研究者のみで、ニューヨーク在住の人間が居なかったので、職場を通じて友人を作ることは出来なかった。しばらく経ってようやく友達が出来たのだが、それは隣の研究室にいた同年代の香港出身の医師だった。彼は米国で医師として働いていたものの、やはり米国ではよそ者なので同じ境遇の僕とはすぐに仲良くなることができた。研究が終わって夜になると、二人ともお腹をすかせていたので、よくチャイナタウンに食事にでかけたものだった。彼が広東語で話して出てくる裏メニューには普段食べたことのないような料理が出てきて、とても美味しかった。ある夜、彼から電話が来て「チキンヌードルを作ったから食べにこないか?」と誘われた。お腹を空かしていた僕はすぐに食べに行った。この味が六本木で後年食べることとなったとり煮込みそばの味だったのだが、とても美味しく感動した。その時言った香港人の言葉が忘れられない。「このとりのスープは東洋人の味覚にぴったりマッチするんだよね。でも西洋人にはこの美味しさがわからないんだよ。」と。この時僕は同じ東洋人として生まれた人間の連帯感みたいなものを強く感じた。

ビジネスの原理
あれから10年経ってもいまだにその味が忘れられなく、このとり煮込みそばのお店にたびたび足を運ぶようになった。このお店に来るたびに気がつくことはいつこのお店に来ても客足が途絶えないことと、どのお客さんも僕の大好きなとり煮込みそばを頼んでいることだ。僕は‘はっ’と気がついた。「なるほど、このお店にはみんなこのとり煮込みそばを食べにきているのか!」と。とり煮込みそばは一人前頼むと通常量と比べると2人前なので二人でいってこのメニューを頼むとあとは春巻きやマーボ豆腐をたのむとお腹いっぱいとなる。つまり、二人で行ってビールや紹興酒を頼んでお腹いっぱい食べても1万円を超えることはないように値段が設定されている。これを読んでいる方は気がついただろうか?これが六本木のような飲食店激戦区で何十年も生き残る戦術であることを。つまり、下記の条件を満たすことがロングランでビジネスを成功させる秘訣だ。
1.他店と差別化される切り札的な一品を持つこと。(この一品を持つことで他の品目も必然的に売れる。)
2.また訪れてもいいなと思わせる(リピーター化させる)良心的な価格帯であること。
業態は違ってもサービスを売りにしている僕のビジネスもこれらの条件を満たさなければ、銀座の様な激戦区で生き残ってゆくのは難しい。
そんなことを考えながら僕は今晩の注文を「いつもので御願いします。」と言うと、中国人の店員は当たり前のように「はい。」とにっこりしながら返事をした。

2006年2月8日水曜日

僕のアンチエイジング治療−14

デトックスで完結したアンチエイジング治療
僕のデトックス治療のほうは、α—リポ酸を定期的に取りつづけることで、現在も続行中だ。特にお寿司などの魚介類を食べた翌朝はα—リポ酸を普段の倍の2錠飲むようにしている。α—リポ酸は重金属ばかりではなく、カルシウムやマグネシウムなど良いミネラルまで吸収してしまうので、小分けして飲むのが良い。食後より食前30分くらい前に摂取すると最も効果的と言われている。α—リポ酸は水、食物、大気汚染の進んでいる都会で暮らしてゆく限りはずっと飲み続けなければならないサプリと決意をしている。デトックス医療の大家である大森先生は“プラスのサプリから悪いものを取り除くマイナスのサプリ”という考え方を推奨しているが、この考え方はとても大切だ。どんなきれいな絵の具でも黒い色を混ぜると汚くなってしまう。どんなに良いサプリを摂取していても、体に悪いものが溜まっているとその効果はあまり意味がない。まずは体の中をきれいにしてからアンチエイジングを考えるべきなのだ。
デトックス治療を開始してからそれまでどうしても解決することができなかった倦怠感、肌荒れ、体力低下等などの大半の問題を解決することが出来るようになった。それは基礎代謝が上がり、免疫力が復活したためだ。車のエンジンに例えると、古くなったオイルを入れ替えてエンジンのまわり方が良くなった状態だ。
アンチエイジング・メディカルスキンケアのCUVO

最後に
アンチエイジング治療のまとめとして普段から心がけるべきことをまとめると、
1.歩行など普段から無理なく長続きする運動を生活の中に取り入れる。
2.バランスの良い食生活を保つ。(タンパク質や脂肪などはダイエットの際、避けることが多いが、実は 摂取しても炭水化物と摂取しなければ太らないことを認識する。減らすべきなのは糖分などの炭水化物である!)
3.できるだけ、十分に睡眠時間をとる。
4.趣味など自分の生き甲斐を持ってストレスを溜め込まないようにする。
5.サプリはデトックスから始める。次に抗酸化剤とマルチミネラルを主体として摂取する。
6.水銀、鉛などの毒を含まないきれいな水を1日コップ5杯(1.5リットル)くらい飲む。
7.体の新陳代謝を高めるように心がける。(サウナ、ホットヨガ、温水冷水浴など)

これで、僕の内科的アンチエイジング治療の方針がほぼ確実なものとなった。ちなみに僕は上記7項目を実践するように毎日心がけている。ここまでたどり着くのに5年近い歳月を費やした。様々な試行錯誤を繰り返してたどり着いただけに、これから将来に向かって出来るだけ健康で幸せに生きることを希望する前向きな方々の参考になれば僕にとってこれほど嬉しいことはない。

アンチエイジング・メディカルスキンケアのCUVO

2006年2月7日火曜日

女性について−3


偏差値教育の弊害
僕たち医者は学問中心の人間が多い。つまり、教科書に書いてあることを頭から信じて、治療に関しても教科書通りに行えば必ず上手くゆくと信じてしまいがちだ。それは学生時代の教育が医者たちをそのように躾けてしまうからだ。理系学科のど真ん中に位置するのが医学部だ。僕が医学部受験を狙っていた今から20年前は偏差値教育一辺倒の状態だった。例を上げると成績が良ければ医学部へ進学しようとする学生が多かった。18歳くらいの高校生に自分の適正が何かはわからない場合が多いので、成績が優秀であればとりあえず将来が安定している医学部受験を考えるのもわからなくはない。でも、この成績が良いから適正もないのに医学部に進学するのは偏差値教育の弊害と言わざるを得ない。
僕の高校時代にはいわゆる‘オタク’と呼ばれるが同級生がいた。彼は人とのコミュニケーションが苦手で、コンピューターばかりいじっていたのを覚えている。彼の成績は抜群で、大学受験が近づいた頃何を思ったのか、彼は医学部を受験した。当然のことながら彼は医学部に合格した。僕と別の医学部に行った彼の学生時代の足取りは知らないが、医学部卒業後に聞いた話では対人コミュニケーションが苦手な彼は結局医師になることを断念して、コンピューター関係のエンジニアになったらしい。

医師に必要な素養
このように理系科目専攻型の医学部であるが、医師になってから必要なのは文系科目的な対人コミュニケーション能力を問われる仕事なのだ。確かに臨床医として働いていると、千差万別の患者さんに対してその患者さんが何を要求しているかを瞬時に見極める柔軟性が必要であることを痛感させられる。実際、教科書に書いてある通りの症状の患者さんなど誰一人としていないので、あくまで世界で唯一の個性を持った患者さんに合わせた対応を医師側がとることが大切だ。
美容医療においてはこのコミュニケーション能力が人一倍問われる。お腹が痛くてとにかく一刻も早く痛みを止めてほしいのであれば、患者側が医師を見極めるようなことはしない。だが美容医療の場合、患者サイドに差し迫った状況はないため、医者はむしろ選ばれる立場にあるのだ。女性の直感力、観察力は男性よりもずっと優れているので、選ばれる立場に置かれる美容外科医師は大変厳しい状況にある。女性の観察力は太古の昔から子供を守るために本能的に身につけているので、その人間が信頼出来るかどうかは、一瞬のうちに見極めることができるのだろう。

男性をみる女性の目
外見を含めて男性が女性を見るよりも、女性が男性を見る目の方があきらかに厳しいことは女性と詳しく話をしているとよくわかる。例を上げると、女性は御見合いの席でも会った瞬間に相手の男性が自分にとってふさわしいかどうか判断するらしい。だから、相手が嫌だと思ってたらその後の会食は儀礼的に行っているだけで、その後に人柄を見て判断することなどあり得ない。それほど女性は感がよく、なおかつシビアな生き物と言える。
女性が男性を判断する時、生理的な感情を重要視する。つまり、「あの人は生理的に好きではないの。」と言われたら状況は絶望的だ。清潔感、品の良い態度、男らしい決断力などは普段から鍛錬しておかなければ、いつ女性から‘生理的に嫌’と言われてもおかしくないのだ。では、逆に女性の観察を仕事とする僕たち美容外科医は女性のどこを見ているのだろうか?次回はそれについて述べる。