2006年3月28日火曜日

アンチエイジング診療の外ー15(ドイツ美容外科学会−3)


アウトバーン
ヨーロッパの昼は長い。僕は朝5時に起きると、プジョーに乗り込んでイタリアまで行くことにした。レンタカーは一週間の予定で借りている。3日後にスイスのチューリッヒ空港に戻れば良い。何しろ一人旅だったので、どこにどのように向かってもかまわない。ドイツ国内はアウトバーン、イタリアにはエストラーダと呼ばれる高速道路が完備されているので、平均時速100キロで走ればどれくらい走れるか予想することが出来た。僕はとりあえず、水の都ベネチアまで走ることにした。ベネチアまでは車で6時間の距離、イタリアアルプス、サンモリッツを抜けて一気に南下することにした。
それにしても、アウトバーンでの走りは凄まじかった。フランス車のプジョーは、フランスの石畳の上で快適に走るように設計されているが、アウトバーンでは話にならない。かっ飛ばしても割と平気な僕は、プジョーのアクセルを最後まで踏みつけて180キロで走った。これくらいのスピードで走っていれば大丈夫と、追い越し車線を走っていると、うしろから猛然とBMWがやってきてパッシングライトを照らされた。慌ててよけると、あっという間に追い抜かれた。つまり、アウトバーンでは180キロで走っていてもまだ遅く、そのくらいのスピードからでも一気に追い抜きをかけられる馬力が必要なのだ。それが可能なのは、ベンツ、ポルシェ、BMWくらいしかない。日本では高級車とされるこれらの車はどうして高いかと言えば、アウトバーンでしっかり走れる性能を持っているからだ。残念ながら、日本でベンツやポルシェを思う存分、走らせるような場所はなく、宝の持ち腐れ状態になっていると言わざるを得ない。
サンモリッツ近くになると標高が高く、気温がぐっと下がってきた。アルプス山脈をおりてくると、イタリアはもうすぐ。ドイツのアウトバーンはとても理路整然としていてわかりやすかったのに、イタリアに入ったとたん、道案内の看板がよくわからない。この辺はアバウトな国民性なのか、早速道に迷ってしまった。夕方には水の都、ベネチアに到着、その夜は島にあるペンションを探して泊まった。

思わぬハプニング
この一人旅はとにかく、目的地に到達することが目標なので、ベネチアではたいした観光すらしなかった。水の上をゆったりとゆく、ベネチア名物のゴンドラを横目に見ながら僕は次に向かう先を考えた。今はまだ朝の8時過ぎ、今から車を飛ばせば、午後にはカンヌやモナコまでたどり着くことが出来る。泊まる場所はついた先で考えることにして、ベネチアを後にした。トリノを通って、一気に地中海まで抜けた。そこはジェノバだったが、地中海を一望できるこの街で休憩することにした。長時間車を運転すると、トイレと食事をとるために運転を休む必要がある。しかし、もう昼過ぎ、なんとしてもフランスの名所、モナコに日の暮れる前にたどり着くには、すぐに出発しなければならない。小さな商店でピザを買ってそのまま車に持ち込んだ。あとから気がついたのだが、ピザを暖めてもらうのを忘れた。「冷えたピザは不味いよ、確か。」と思いつつも、お腹がすいていたので、渋々食べるとこれが意外にもおいしく、「さすがイタリア、冷えてもうまいピザがあるんだ!」と感動した。
午後三時にはカンヌに到着した。さらに西にはマルセイユもあるが、今回はここでユーターンすることにした。これでほぼ目的は達成したことになる。とりあえずほっとして、カンヌのビーチでゆっくり休むことにした。7月の真っ盛り、ビーチにはバカンス最中の多くの人たちで賑わっていた。車をビーチ近くの屋内駐車場に止め、水着に着替えた。パスポート、財布などの貴重品をシートの裏に隠して、海水浴を楽しむことにした。何しろ、一人なので海水浴に荷物を持ち歩くわけにはいかない。身につけているのは車の鍵とサングラスだけだ。日本でもよくやっていたのだが、海に着くとビーチサンダルの下に鍵を隠して、泳ぎに出た。海岸から500メートルくらい泳いだところで、何かいやな予感がした。「ちょっと待てよ、もし車の鍵をとられたらとってもまずい!」と。一目散に岸に戻った。悪い予感は的中した。サンダルと一緒に置いてあったサングラスと鍵はなくなっていた。「これはまずいことになった。」と一瞬、顔面から血の気が引いた。「車までとられていたらどうしよう!」水着のまま必死で車に向かった。不幸中の幸いにも、犯人は車まで同定するこができなかったらしく、車は盗まれていなかった。それにしても鍵はなく、車の中にある洋服に着替えることも出来ず、途方に暮れた。鍵がなければスイスに戻ることも出来ないし、フランスでは英語すら通じないと思うと、絶望感に襲われた。どうすることも出来ず、駐車場とビーチのあたりをうろうろしていると、中学生くらいの子供が近づいてきて、フランス語で話しかけてきた。するともう一人の少年が近づき、なんと僕に鍵を渡したのだ。どうでも良かったのだが、「サングラスは?」と言うと、首を横に振った。多分、彼らは海岸に来た日本人の僕を見て、格好のターゲットと思ったのだろう。僕が泳ぎにいったとたん、サングラス、あわよくば車の中の財布をとろうと思ったのかもしれない。それにしても、鍵を返してくれたのはラッキーだった。もし、返してもらえなければ、とんでもない羽目に会うところだった。鍵を返してくれた少年たちにむしろ、感謝しても良いぐらいだった。

アドレナリンがみなぎる旅行とは
「もっと用心しなければ。」と思いつつ、すかさず着替えてモナコ、モンテカルロへと向かった。モナコに到着すると、時刻は7時を回っていた。サマータイム制のおかげで、この時間でも十分に観光することが出来る。すっかりお腹がすいたので、一人で屋外レストランに駆け込んだ。お腹がいっぱいになったとたん、これからどうするか考えた。このまま北上してフランス周りでチューリッヒまで戻るか、それとももう一度イタリアまで戻るか。当初の予定ではフレンチ・アルプスからリオンを抜けて戻ろうかと思ったが、カンヌで起きたアクシデントですっかり弱気になり、来た道を引き返し、ミラノまで行くことにした。早めに戻った方が良いと思い、モナコで食事をした後、一気にミラノまで引き返した。このドライブはとてつもなく疲れた。夜の地中海沿いの高速道路は外灯すらなく、長距離トラックを次から次への追い越しながら夜中にかけてひたすら運転したが、居眠り運転寸前だった。ミラノについた頃は夜中の2時くらい、近くのドライブインを見つけて眠りに落ちた。
翌朝ミラノ市内に車で侵入してみたのだが、放射状に道路が走るこの街を車で走るのはとても骨が折れた。ぐるぐる回りながら最終的にたどり着いたのが、“ドーメ”と言われるミラノの中心だった。目の前に“プラダ”があったので入ってみたが、ここが“プラダ”本店であることに気がついた。しばらく観光をした後、この街から抜け出すことにした。それにしても、ミラノの街は道路がデコボコで首が痛くなりそうだった。道も複雑でナビでもなければ、とても目的地に行けるとは思えない。ただ、街から離れるのは意外にも簡単だ。環状道路をぐるぐる回りながら、外へ外へと軌道を外れてゆけば良い。気がついたときには北イタリアへ抜ける高速道路にたどり着いていた。
イタリア、オーストリア、ルクセンブルグからスイスに入ってチューリッヒに着いたときは無事に旅を終えることが出来、一安心。スイスは英語が通じるので便利と思いきや、この国だけユーロが使えない。スイスは独立国なので、EUに加盟しておらず、スイス・フランに両替が必要だ。チューリッヒに一泊してこの旅行を終えた。プジョーでの走行距離は1500キロ以上に達していた。観光するだけであれば、飛行機や電車で行く方が楽で良い。僕の旅はヨーロッパを肌で感じるものにしたかったので、このような過激なドライブを敢行した。アウトバーンの途中には車が木っ端みじんに大破する事故も垣間みた。あれだけのスピードを出して事故を起こせば当然だろう。しかし、自由はリスクが伴って初めて謳歌できるはずで、リスクなしに本当の自由を得ることができない。観光旅行にバスで行けば、僕はすぐに寝てしまう。僕の体はアドレナリンがみなぎる状態でなければ物事を体感できなくなっているが、その分“第六感”は冴えるようになった。

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