2005年10月14日金曜日

僕のアンチエイジング治療ー5


北海道を離れる
寒さに弱くなったは暖かい環境に慣れた体と思った。自分の体は元々寒さには対応出来るようには作られていないのだろうと考えた。それにしても真冬に外に出ることが出来ないのは北海道で暮らしてゆく上でとても不便だった。2000年を迎え整形外科研修も一段落がついたので、今後どのような進路を選ぶべきか真剣に悩んでいる時期でもあった。これまで世界の中心ニューヨークで3年間暮らしたことがあっても、日本の中心東京で暮らしたことは一度もなかった。ある程度外科医としての腕に磨きをかけた僕は東京に出て仕事をすることを考え始めた。北海道の2月は厳冬期で寒い日だと気温はマイナス10度以下になる。最高気温もプラスに達しない日を真冬日というが、そんな日がずっと続くのだ。2月のある日、僕は就職活動のため上京した。東京は2月にもかかわらずサラリーマンが背広姿で歩けるほどの気温だった。「同じ日本なのに何故、こんなに環境が違うのだろう?冬でもこんな暖かい所で生活したいな。」と正直思った。その年の6月から東京で新しい生活を開始した。

新しい環境での生活
新しい就職先は美容医療の老舗十仁病院を選択した。僕が学んだ外科医としての能力を将来性のある美容外科医療に活かせると考えたからだ。十仁病院は外科的美容医療のみならず、内科的アンチエイジング治療にも力を入れていたので、この両方に興味のある僕にとって格好の環境だった。このクリニックでは、ホルモン補充療法など最先端のアンチエイジング治療がすでに行われていた。サプリメントも闇雲に処方するのではなく、血液検査を行った上で体に不足しているものを補うといったように合理的なものだった。5年前はアンチエイジングという言葉もそれほど世間一般に浸透しておらず、治療に関する情報はアメリカから発信されたものを手に入れていた。最近話題を集めているホルモン補充療法に関しては、当時は副作用の心配もあり、慎重に行う必要があったが大半のアンチエイジング治療が可能であった。ラスベガスで毎年行われるアメリカアンチエイジング学会にも出席して、最新の情報を手に入れるように努めた。

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