2005年9月23日金曜日
診療日記−2
美に対する女性の飽くなき欲望
女性は一日どれくらい鏡を通して自分を見ているのだろうか?女性の一日は化粧をすることから始まる。仕事に行っても、その後の食事に行っても化粧が乱れていないかも確認するたびに鏡に覗き込むのに違いない。寝る前はお風呂から上がって、スッピンの自分を眺めては素肌の状態を確認する。乾燥肌の場合は保湿剤や乳液をまめに塗りながら、やはりじっと自分の顔を眺めている。きれいな人は心の中で「私ってどうしてこんなに美しいんでしょう」と自分の美しさにほれぼれしながら自分の顔をいつまでも眺めているのだろう。自分の顔に何かコンプレックスがあれば、なんとかそれを解消しようと懸命になる。残念ながら、前者のように自分の顔に見とれるような完璧な容貌をした人は滅多にいない。一般的に美人と言われる人でもいくつかの欠点があって当然で、欠点を持たない顔のほうがむしろ不自然だ。確かに顔には美しさの絶対的基準がある。顔のバランスがある基準に当てはまっていることが重要だ。しかし、その基準にぴったりとした顔は面白みにかけていて、むしろその基準から少しずれているほうがその人の個性としてとらえられやすい。芸能人にしても完璧に整った顔より、ちょっと口が大きかったり、目が垂れているような特徴を持っている人の方が成功している確率が高い。その方が人の印象に残りやすいからだろう。我々美容外科の仕事はその人それぞれの外見的魅力を最大限に引き出すことであって、単にバランスの良い顔を作るわけではない。
毎日の診療の中でいつも気がつかされるのは女性の美しさに対する計り知れない欲望だ。その欲望はおそらく男性に理解することはできないものだろう。僕のクリニックを受診する多くの女性は、一般的に見ると美容外科に来る必要なんか全く必要のないくらい美人な方ばかりだ。ではどうしてこのような美人女性がやってくるのだれろうか?その答えは至って単純だ。美人女性は美しさの価値を実感しているために、さらに美しくなることに情熱を費やしているのだ。逆に美しくなることに価値を見いださなければ、美容外科ほど意味のない医療はないことになる。僕は数々の女性とのカウンセリングを通してこの事実を知ったのだが、それを知るのは美容外科医、美容師、デザイナー、カメラマンなど、特殊な職業につく男性だけかもしれない。美容外科医として成功するにもこの女性の美に対するこの飽くなき要求に共感できなければならない。
とても高い美人の美に対する感性
今日も40代の美しい女性が当クリニックを訪れた。顔立ちのはっきりとしたキャリアウーマンだ。彼女は外見上の美しさのみならず、内面から知性的な雰囲気が漂っている。一見見る限り、僕が何か手出しをして美しく出来る所があるか迷うほどだ。彼女の悩みは目の周りのくまだ。一般の女性の悩むくまに比べるとほとんど目立たないといっていい。たまたま僕のクリニックで目の周りのアンチエイジング治療を専門的に行っていることを知り、受診したのだ。他のクリニックで「それはくまではないから気にしないほうが良いし、直す方法もありません。それよりもほほのたるみをなんとかした方が良いのではありませんか?」と言われたらしい。しかし、彼女の美に対する観察力は正しかった。彼女の顔をよくよく覗き込むと確かに目の下にくまらしきものが存在した。僕は「はい、本当に少しですが、目の下にくまがあります。普通の女性でしたら気にしない程度でしょうけど。」と説明した。彼女は「でも私はこのくまを十数年前からずっと悩んでいて、もの凄いコンプレックスなんです。」と言った。さらに「なんとかこのコンプレックスを解消したいのですが、何かいい方法がありませんか?」と続けた。僕は「はい、大きな変化は望めないかもしれませんが、今よりくまを目立たなくすることは可能です。」と伝えた。彼女は思わず、はっとした表情をして「では是非、御願いします。」と答えた。
この治療は当クリニックで日常的に行っている目の周りのくま改善治療だが、彼女の場合、大きな変化は望めないものの彼女の美意識を満足させる結果は間違いなく残せる方法だ。この治療によって彼女の長年の悩みが解消出来れば、美容医療も他科の診療科目と同様、人のためになる医療行為の一つなのだ。
彼女は長年のコンプレックスから解放されることで、今の美しさが自信に裏打ちされ、さらに磨きがかかったものになるだろう。僕はこれからはどんな小さなくまも見逃さないように心がけようと誓った。
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