2007年10月16日火曜日

韓国美容外科学会


いざソウルへ

秋の美容外科学会は日中韓合同で、3カ国持ち回りで行われる。昨年は中国重慶で行われたので、今年度は韓国ソウル、来年は東京で行われる。羽田からソウル金浦空港までの空の旅は2時間ちょっと。国内線感覚でソウルに行ける。ソウルに着いた途端、圧倒されるのは半端でない車の数だ。ソウル市内ど真ん中を流れるハンガン川の両脇3車線の直線道路が、金曜の夕方大渋滞となっていた。金浦空港からソウル市南部にある学会場のホテルまでタクシーで2時間以上もかかり、到着したのは午後8時だった。疲れ果てたが、着いた途端、お腹が無性にすいたので、近くで“サンゲタン”と呼ばれる宮廷ひな鳥料理を食べた後、ぐっすり眠りに落ちた。
翌朝、学会は8時半から始まり、僕は午前11時半からの“目の美容外科シンポジウム”の座長、午後3時15分から“他院での治療のやり直し症例。”について発が予定されていた。発表のプログラムを眺めると、顔の治療に関する発表が圧倒的に多い。発表は韓国語か英語のどちらかで行われる。学会に参加している医師たちの大半が韓国人で、ほとんどの発表は韓国語で行われた。そのため、発表内容の詳細はよくわからないが、発表スライドをよく見ているとおおよそ見当がつくが、その内容がとても良い勉強になる。当たりを見回すと、韓国人以外の参加医師は日本人、中国人、台湾人、そして少数だがシンガポール人やインドネシア人医師も参加している。アジア人同士はアジア諸国で学会に参加する方が有意義である。僕は十仁病院に勤務していた頃、ヨーロッパや米国で行われていた美容外科学会にちょくちょく参加していた。しかし、西洋人とは美的感覚や皮膚色、肌質が異なるので、西洋で行われている治療方針が東洋人のそれと必ずしも一致しない。そのため、欧米の学会で得た知見が自分の診療に直接的に生かされない。それに対して、同じ東洋人同士での美意識はある程度共通しており、少なくとも肌質は同様なので、同じ方法で治療を行える。そのような背景から僕は東洋で行われる美容外科学会には積極的に参加するようにしている。

進歩著しい台湾、韓国の美容医療

学会に出席してすぐに感じたことは台湾、韓国の美容外科技術が相当に進歩してること。台湾はその歴史的背景から最新米国流医学が取り入れらてている。海外留学経験のある台湾美容外科医師は流ちょうな英語を使うので、世界からの情報をいち早く察知出来る。韓国の場合、その開放的な国民性から人々は日本人と違って美容的治療経験を隠さない。そのため、韓国の美容医療の需要はは日本と比較にならないほど高く、その進歩も著しい。では台湾、韓国と日本の美容医療の差異はいかほどだろうか?台湾、韓国の最新美容医療も日本のそれと同様、出来るだけ傷跡が残らず、ダウンタイム(社会復帰までの時間)が短い治療がもてはやされている。しかし、そのような治療でも、台湾や韓国ではある絶対条件を満たさなければならい。それは何であろうか?低侵襲治療といえども、従来までの治療と同程度の結果が得られることに他ならない。日本の美容医療との違いはそこにある。日本の場合、低侵襲治療はハッピーリフト(糸を用いた顔面リフト)に代表される。しかしハッピーリフトはダウンタイムが短い分、その効果も小さいと言わざるを得ない。では台湾、韓国でのダウンタイムの短いフェイスリフトはどのようなものだろう?それは内視鏡を用いて髪の中に1〜2cmの切開を加えて行うフェイ・スリフトである。この方法を用いると、ダウンタイムは短くてもその効果は従来までのフェイスリフトと同等である。これらの発表を聴いたとき、僕は直感的に僕のクリニックでも早急に内視鏡を用いた治療を取り入れるべきと感じた。


うっかり遅刻した座長の役割

そんなことを感じながら、諸外国医師たちの発表を拝聴していると、コーヒー・ブレイク(休憩時間)がやってきた。休憩の後には僕ともう一人の韓国人医師行う会議がすぐに始まる。コーヒー・ブレイクは会場外で知人医師と談話をしたり、美容関連業者さんたちの展示会場を見て回る。僕がいつも注目するのは教科書売り場。日本ではなかなか手に入らないような美容医療関連の専門書がたくさんある。十仁病院にいた頃、梅澤院長はちょくちょく僕を院長の母校、慶応大学医学部の書店に連れて行ってくれた。僕は興味深い本を手に取り、中身を見た後、その本を本箱に戻そうとすると、梅澤院長は「手に取った本は全部買いなさい。興味がある証拠だよ。」と言った。僕はぎょっとした。何故なら、医学専門書は大変高価なので、僕は学生時代から十分に中身を吟味してから買う習慣ががついていた。梅澤院長は続けて、「本当に良い本だと思ったら2冊かいなさい。そうすれば自宅と病院の両方で勉強できるだろう。」と言った。このような太っ腹の梅澤院長に教育されたせいか、それ以来、僕は良さそうな本は片っ端から買うようになった。今回の学会でも大量の本を購入したが、持ち帰れそうもないので、航空便で送った。
医学書購入に夢中になっていると、僕が座長をする予定の会議がすでに始まっていた。会場では僕の名前が呼ばれていたらしいが、会議場の外にいたので気がつかなかった。大事なところで座長遅刻という失態をさらしてしまった。会議はもう一人の韓国人医師によってすでに開始されていた。僕はそっと壇上の座長席に座り、何事もなかったかのようにこの会議の司会を行い、約1時間の会議を終了した。終了後、もう一人の座長韓国人医師と自己紹介をし合ったところ、この医師も同じく目の周りの治療の専門医師だった。よく話を聴くと、彼は元々眼科医だったが、目の周りの美容治療を専門とするようになったらしい。このように眼科医が目の周りの美容治療を専門とするのは韓国では一般的らしい。韓国ではこのような専門医師たちを眼美容外科医と呼ぶ。僕が主に行う眼周囲の治療は彼が行うものと共通点が多く、様々な意見を交換した。

韓国大学医学部教授の尋問

昼食を終えると、僕の発表の時間がやってきた。僕の発表の座長は韓国眼美容外科の重鎮、韓国大学医学部教授である。海外での学会発表はしょっちゅう行っているが、何度行っても発表前の緊張感は変わらない。教授が僕の発表内容の紹介した後、僕は15分間の発表を英語で行った。その後、僕と一緒に座長をした韓国人医師を含め、3人の韓国眼美容外科医たちが次々と発表を行った。この会議の終了前の15分間は質疑応答の時間だった。座長の韓国大学医学部教授は、会議の要旨を韓国語で300人ほど集まった聴衆の前で説明している。その内容がわからずぼーっとしていると、一瞬、教授が僕の名前を呼んだような気がした。僕は何かの間違いだろうと思っていた矢先に今度ははっきりと「久保先生、いますか?」と英語で呼ばれた。僕は思わず「はいっ。」と答えると、教授は僕に「もう一度壇上に戻りなさい。」と告げた。僕は正直“ぎくっ”とした。何故なら、不真面目医学生時代、医学部教授からはいつも呆れられるほど叱られていたから。過去の苦い思い出が一瞬にして蘇る思いだった。僕は青ざめながら壇上に戻った。
東洋から集まった300人ほどの医師の前で、僕は韓国美容外科会で名声ある教授から質問されることになってしまった。教授は僕を一瞬見つめながら、流ちょうな英語で質問を開始した。壇上での質問は予想がつかないだけに、たとえ日本語で質問を受けても答えに困窮することすらある。それが英語の場合、その可能性が高くなる。教授は「君が選ぶ治療方針について、どのような根拠でそのような選択するのか理由を説明しなさい。」と僕に質問した。教授の威厳は圧倒的で、僕はまさに“蛇ににらまれた蛙だった。”僕は、大きな息を吸ってから、自分の考えを伝えるための最大限の努力を払った。教授はじっと僕の説明を聞いていた。僕は苦しみながら何とかその質問に答えた。“もうこれ以上質問はしないでほしい。”と祈ったが、教授はそう簡単に僕を壇上から下ろしてはくれなかった。次の質問は「君が行う治療法の一過程について、具体的に説明してください。」とのことだった。僕は300人の聴衆のことは頭になかった。とにかくこの教授に納得のゆく説明をするのに全力を注いだ。この質問に対して僕は自信を持って対応することが出来た。教授は壇上の向こうからやや微笑みを浮かべながら、「ありがとう。では君は席に戻って結構です。」と僕に向かって言った。僕はすぐに「こちらこそ、ありがとうございました。」と返事をして席に戻った。緊張のせいで体は汗でびっしょり濡れていた。
厳しい尋問は僕だけでのものではなかった。この会議に発表した他の韓国人医師たちも次々に呼ばれ、教授から質問を浴びさせられた。彼らの質疑応答は韓国語で行われたので、その内容はわからなかった。しかし、教授はよほど偉い方らしく、質問を受けた医師たちは、質疑応答終了時に頭を深々と下げながら壇上を降りた。その後、この教授の特別講演を聴いた僕はこの教授が何故それほど有名な方なのか知ることになった。それはこの教授の行う治療が最新で、とても効果的かつ安全な治療であること存分に示されていたのだ。
僕は日本を越え、韓国、中国、台湾などの医師たちとこの学会で同じ舞台に立った。そこには同様の情熱を持ちながら同様の仕事を真剣に行う多くの仲間たちとの共感が存在した。教授からの厳しい質問も“愛の鞭”と思えばとてもありがたい。この“愛の鞭”が彼らへの仲間入りの登竜門とすら思える。不真面目医学生時代を想い出すこのような経験が今は開業医となった僕の明日への進歩の大きな糧となる。

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