2006年12月15日金曜日
クリニックの改装
毎日通う空間
つい最近、このクリニックは2日間の休みを利用して改装した。今から一年前、並木通のクリニックから移動してきた際、割と急だったせいか、クリニックの内装はあまり満足のゆく仕上がりにならなかった。医療は他のサービス業と同様、人を迎え入れる仕事、やはり快適な空間を提供したい。内装はお客様だけではなく、毎日そこで働く僕たち従業員の士気にも影響する。僕は元来、一カ所に長く居るの得意でなく、様々なところを飛んで歩くのが好き。そんな性格の僕が、仕事中に一歩も外に出られないこの仕事を選んだのは、この世での修行の意味があるに違いない。仏教の教えによると、人がこの世に生まれてくる意味は、過去から継承した魂を、この世で鍛えて、さらに高尚なものすることらしい。そう考えると、僕には今の仕事を全うする使命がある。では、どうしたら落ち着きのない僕が同じ場所に長く留まっていられるのだろうか?それはクリニックに訪れるお客様のみではなく、そこで働く我々スタッフも居心地の良い空間を作るしかない。
内装の意味
一般的に言うと、病院やクリニックのデザインは機能性重視である。それは、内装にいくらお金をかけても、患者さんが増える訳ではないから。そもそも病人として病院やクリニックを訪れると、内装の価値を味合う余裕はない。ついこの前、僕も怪我人として大学病院に通っていたが、天井からは蛍光灯がこうことまぶしく照るつけているし、各部屋が個室化しているようで、実は冷暖房が効率よく通じるよう、壁は天井の手前で筒抜けとなっている。
では美容外科クリニックはどのように内装を考えるべきだろうか?美容クリニックの場合、内装が機能性重視だけでは何か物足りない。美容クリニックのお客様たちは、お腹が痛くて駆け込んでくるような切迫感のある患者さんではない。むしろ、レストランで美味しい食事にやってくる上客たちと同様だと思った方が良い。彼女たちは病気ではないので、クリニックを観察する余裕がある。内装ばかりではなく、接客態度なども敏感に観察している。彼女たちは、もし何かクリニックで気に入らないことがあれば、治療をキャンセルしてでも他のクリニックに乗り換えることもある。従って、美容クリニックのようにサービスが主体となる医療施設は、医療行為自体は言うまでもなく、クリニックに関わる全ての面で患者さん優先となるべきである。
先日、随分前から僕のクリニックに通っているお客様が、新しい内装を見て開口一発、「あら、随分上品な感じになったのね!今度から私も、もう少し綺麗な格好をしてこなきゃいけないわね。」と言った。お客様にそう思っていただいたことが、クリニックを改装した意味に他ならない。この改装によって、上品なお客様を受け入れる体裁はそれなりに整った。これからも僕のクリニックには上品な方々がいらしてくれるに違いない。
2006年12月2日土曜日
ホワイト・クリスマス
本物のクリスマスツリー
12月に入り、当クリニックには2メートルの本物のクリスマスツリーを飾っている。本物にしたのは2つの理由がある。1つ目は銀座でお客商売をしている人の言い伝えなのだが、“偽物の草花を飾っているとお客さんが離れる。飾るのであれば生の草花を飾るべき。”というものだ。美容医療であってもやはりお客さんあってのビジネス、このような言い伝えは守りたくなる。2つ目は米国留学時代のクリスマスの思い出、米国では本物のツリーを飾るのが一般的である。クリスマスにもう一つ欠かせないのが、クリスマスソング。当クリニックでは親友のウイリアムからiPodごともらった250曲のクリスマス・ソングがこの時期常に流れている。音楽はしばしば時間を超えて、過去の記憶に直結する。僕の記憶は10年前の冬のマンハッタンに飛んだ。
マンハッタンから北へ向かう決心
ニューヨークでは12月も下旬に入ると、すっかり真冬の寒さだった。アパートから歩いて5分の距離にあったイーストリバー沿い、ロックフェラー研究所に通うにも、セーター一枚では寒く思わず武者震いしてしまうほどだ。ニューヨーカー達の朝は早い。彼らは白い息をはきながら、デリカテッセッンと呼ばれるアメリカ式コンビニで買うコーヒーを片手に持ちながら、足早に仕事に向かう。この時期、マンハッタンの中心にあるロックフェラーセンターには大きなクリスマスツリーが飾られ、いよいよ訪れるアメリカ最大のイベント、クリスマスの到来を感じずにはいられなかった。
研究生活は早くも一年が経過し、ある程度の結果を出さければと焦燥感に襲われる。金曜日の午後、試験管を振る手を止めて時計を見ると、時刻はそろそろ午後4時を廻っていた。外を眺めると、すでに薄暗いマンハッタンの空には小雪が舞っている。ロックフェラー研究所は高級住宅街アッパー・イーストサイドにあった。研究室の窓からは、この高級住宅街に住む、裕福そうな家庭の女の子が、親に手を引かれ、楽しそうに歩いている。米国の場合、クリスマスは極めて家族的な行事。一人ぼっちのクリスマスは寂しさがつのるので、どうしても避けたい。マンハッタンの生活は長く続くと息が詰まる。そのせいか、マンハッタンのビジネスマンたちは郊外から通うか、ロングアイランドにある別荘で、金曜の午後から日曜の夜まで過ごすのが一般的だ。クリスマスのこの時期うかうかしていると僕は友人もなく、お金もなく、惨めなクリスマスを過ごすことになる。どうしたものか?僕は思い切って日本でスキー競技を通じて友人となったカナダ人の家庭でクリスマスを過ごす事にした。それはニューヨークから北へ700キロのモントリオールだった。モントリオールはフランス系カナダ人の街、本格的なホワイト・クリスマスを実感出来る。僕は金曜の午後、研究を早めに切り上げて、ホンダの赤い小型スポーツカーで一気にモントリオールまで駆け上がり始めた。
ロングドライブ
ニューヨーク北部へ向かうイーストリバー沿いの道路に入ると、郊外へ急ぐ人々の車の流れが予想以上に早く、僕は動揺した。うかうかしているとモントリオール行き高速道路を見逃してしまう。この高速道路に入るにはヤンキーススタジアムを右手に見ながら、治安の悪いハーレムを通り抜ける必要がある。ハーレムでは、出来れば赤信号ですら停車したくない。以前、車が燃えている前で騒ぐ黒人たちを目撃した事があるからだ。必要以上に僕はハーレムを恐れていたのかもしれない。小刻みに、歯切れ良く走れるホンダ製スポーツカーを自由自在に扱い、僕は点滅しつつある黄色信号を一気に走り去ろうとした。しかし、ちょっとの差で間に合わなかった。“くそっ”と思いながら、赤信号で停車すると、案の定、道路にたむろする黒人がよってきた。彼はいきなり窓を拭き始めたが、信号が青に変わるまでの短時間しかない。拭き終わる頃にはかえって汚くなった窓、しかし、その男は運転席の窓を叩き、お金を要求する。“しょうがないなー”と思いながら、少しだけ窓を開けて50セントを投げ渡すと、男は「何だ、これぽっちかよ?」と叫んだ。僕は「もっと、欲しかったらもっときれいにしろ!」と切り返した。男は汚い言葉で僕をののしったが、信号が青に変わった途端、猛スピードで走り去った。
ジョージ・ワシントン橋を渡ると、ニューヨーク州の北へ向かう高速道路に入る。僕は高速で運転するにもかからず、片手をポケットに突っ込んで、小銭が十分にあるか確かめた。ニューヨークでは高速道路は数百円相当の高速料金を、小銭で入り口にあるバケツに投げ込む。すっかり冬の様相を呈した森をひたすら北へと走り続けた。それにしても、米国で買ったこのホンダ製スポーツカーは、惚れ惚れするほど良い走りを見せる。この調子だと一気に700キロを走り抜けられると確信した。日本の技術力の素晴らしさに優越感を感じながら、僕は米国車たちを次から次へと抜き去ってゆく。僕はハンドルを持つとアグレッシブになる傾向が昔からあった。抜き去られた車の運転手は僕の過激な走り方に、肩をすぼめて飽きれた顔を向けた。普段のストレスの発散とばかりに飛ばし続けると、残りの道のりはあと半分、ニューヨーク州北部の街、レークプラシッドまでたどり着いた。350キロを3時間半、平均時速100キロで走っていたことになる。猛スピードで運転して興奮しているのか、不思議とお腹は空かない。しかし、真っ暗闇の中の単調な直線を一人で走っていると、たとえ時速100キロでも激しい眠気に襲われる。僕はドライブインに立寄った。店の中に綺麗にはクリスマスツリー、店内にはクリスマスソングの定番、ホワイトクリスマスが流れている。ダウンジャケットを着た若者の店員に1ドル札を渡して、コーヒーを頼むと、プラスチックのカップになみなみと薄いコーヒーを注いだ。時刻はすでに夜の9時を廻っている。僕はコーヒーを飲み干すと、大きく伸びをした後、車を一気に加速した。
国境を超えて
カナダ国境に着いたのは11時過ぎ、米国からカナダに入国するのはカナダから米国に入国するのと比べると、それほど厳しくはない。フランス系カナダ人の国境警備員が僕の車に近づいてきて「随分、早そうな車に乗っているけど、こんな遅くにどこへ行くんだい?」と尋ねる。「僕は日本出身の留学生だけど、マンハッタンでひとりぼっちはまっぴらごめん。モントリオールの友人の家でクリスマスを過ごしにきました。」と答えた。警備員は笑いながら僕のパスポートを調べ「メリークリスマス!」と言った後、国境の門を開いた。
友人の家族には12時頃には着くと伝えてあった。僕はカナダに入っても車のスピードを緩めずに走り続けた。12時少し過ぎて、モントリオールの西にある住宅街にたどり着いた。気がつくと一面は真っ白な雪で覆われている。車を降りて道を歩いてみると、“きゅっ、きゅっ”と雪のしまった音がする。外気温はマイナス10度以下に違いない。顔は冷たさより痛さを感じるくらいだった。辺りを見渡すと家にはイルミネーションやクリスマスツリーが見事に飾られている。「これこそ、ホワイトクリスマスだよ!」、僕は幼い頃に感じた歓喜が体にこみ上げてきた。友人の家はモントリオール随一の高級住宅街にあった。雪で覆われた庭を抜けて玄関のベルを鳴らすと、友人の父が「メリークリスマス!」と満面の笑みで僕を向かえてくれた。その後僕は、一生の想い出に残るすてきなクリスマスをモントリオールで過ごした。
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