2008年7月23日水曜日

休日の過ごし方


休日の午後

友人は僕が休日どのように過ごしているかよく尋ねる。 僕の答えは決まって、”午前中はジムに行くか、家でごろごろしている。出かけたとしても都内の近場に午後からちょっとだけ。”と答える。実際、僕は休日には何一つ生産的なことはしない。集中力を必要とする美容外科という仕事上、休日に体力消耗するようなことは避けたいのがその理由なのだ。 実は休日の都内は意外に過ごしやすい。 買い物でも、ゴルフの打ちっ放しに行くにも、あまり待たされることがない。 東京を離れて何か行動しようとすれば、都内を脱出するのに交通渋滞や人混みなど、体力を消耗しかねない。僕にとって毎日行う外科手術が充実する時間なので、休日に充実感を求める必要がない。
休日の午後、しばしば訪れるのが明治神宮外苑周辺だ。ここは東京都内とは思えないほど広い空間と緑が溢れている。休日ともなると、国立競技場や神宮球場ではスポーツイベントが行われ、賑やかな雰囲気に包まれ、人々にとって大都市東京のオアシスの一つに挙げられる。ここに僕が良く通うゴルフ練習場がある。なかなか上達しないゴルフについて、友人と”ああでもない、こうでもない。”と言いながら練習するのも良い気分転換になる。

手頃なイタリアン

ゴルフ練習で汗をかいた後は、翌日の仕事に備えて早めの夕食をする。明治神宮外苑から恵比寿、広尾近辺では休日でも比較的手頃なレストランが、軒を揃えて営業している。明治通り界隈はグルメ通りといっても過言ではない。オープンカフェ店が多く、夕日が沈む前、イタリアンレストランのテラス前でアンチパスタ(前菜)に舌鼓を打ちながら、ワイングラスを傾ける人たちを見かける。友人と僕は、明治通り沿いの行きつけのイタリアンレストランに向かった。ストレス・フリーにしたい休日の夕食は、やはり馴染みのお店に越したことはない。新しいお店に挑戦して、雰囲気が良くなかったり、美味しくなかったりなど、ネガティブな思いをあえてしたくない。このお店の場合、どの程度お腹が空いているかシェフに伝えるだけで、その日の新鮮な食材からみつくろって、手頃な料理を用意してくれる。イサキや真鯛のカルパッチオ、イワシのフリット、トマトのカプレーゼ、菜の花パスタ、そしてメイン料理は豚のバルサミコソースソテー焼き。イタリア料理の魅力は手頃な料金で、気張らずにバラエティな食材がコースとして出てくること。料理に合わせてワインを選び、会話をしながらゆっくりと食事を楽しんで、一人あたりの料金は5000円程度と、極めて良心的である。良いイタリアンレストランと出会うと、気軽に行きたくなるのはこういった理由に他ならない。気の合う友人とストレス・フリーの時間を過ごす。これが僕にとって有効な休日の過ごし方であり、明日への活力につながるのだ。

2008年7月7日月曜日

広島北部の山村地帯


忘れつつある日本人本来の暮らし

先日、広島に住む英国人の友人から「日本の古民家を手に入れたので見に来ないか?」と誘われた。”英国人の友人が何故日本の古い家屋に興味があるのだろう?”僕はそのことに興味を抱いた。そこで、折りたたみ式自転車を新幹線に持ち込んで広島まで出かけることにした。ぼーっとしながら車窓を眺めていると、東京ー広島間の4時間はあっという間にに過ぎた。東京で仕事をしていると、常に何かに追い立てられるような生活が続く。このように何もしないで過ごせる時間が、逆にとても貴重だ。広島駅で友人と会い、そこからバスで1時間、広島県と島根県境の高速道路パーキングで下車した。梅雨のまっただ中のこの時期、雨がしとしとと降っているが、緑豊かな田園風景がとても美しい。高速パーキングで折りたたみ式自転車を組み立て、友人と一緒に、45分ほどの山道を自転車をこいだ。この景色は僕が幼少時代、北海道の田舎で見慣れていたものだったせいか、その想い出が30年以上の時間を飛び越えて、僕の脳にフラッシュバックした。田んぼには無数のオタマジャクシが泳ぎ、雨がに塗れたアスファルトの上には蛙が跳ね、ミミズがはってる。都会は時代とともに急速に変化するが、こういった田舎はあまり変わっていないと思った。
友人は週一度この家を訪れるが、その間ここには人の気配がないため、蛇や熊が出ることもあるらしい。僕が訪れた時はマムシを含め、3匹の蛇を見かけた。この家は今から10年以上前、前住人が他界されてからずっと空き家になっていた。少なくとも100年以上前に立てられたらしく、縁側には障子、囲炉裏に藁葺き屋根など、日本古来の文化が残されていた。こういった日本文化は、第二次世界大戦、その後の高度経済発展の中で、いつの間にか忘れ去られつつある。だが、この英国人の友人は、普通の日本人以上に伝統的な日本文化に興味があり、この家を手に入れた。古民家に到着して気になったのがライフラインが配備されているかどうかだった。とりあえず電気は通っていた。だがそれ以外、つまり水道、ガス等は配備されていない。水は家の裏にある小川から水を引き込み、ガスの代わりに薪を焚く囲炉裏を使うしかない。水は飲料水として安全なのだろうか。友人曰く、この小川の水は、飲料水としての水質検査に合格しているとのこと。何しろ、小川が流れるこの家の裏の森林地帯には過去100年間、居住した形跡がなく、水が汚染されていないのだ。

久しぶりの魚釣り

広島をバスで出発する直前、友人は「この先、買い物する場所はないので、必要なものは今買いなさい。」と言う。僕は駅に隣接したマーケットでスナックやビールを買った。友人は僕に「それで十分なのか?」と念を押す。都会の生活に慣れた僕は”せめてコンビニくらいあるだろうから、そこで何か買えばいい。”と軽く考えた。だが、この場所には友人が言った通り、買い物をする場所はどこにもなかった。僕が友人に「これだけの食べ物じゃ、お腹がすぐにすいてしまうよ。」と訴えると、友人はあきれた顔をして「俺の言うことを信用しないからだよ。」とつぶやいた。友人は続けて、「でも、ここにいるとストレスがないせいか、それほどお腹がすかないから大丈夫。もし、どうしてもお腹が空いたら、魚釣りに行こう。」と言った。”魚釣り?”ここ何十年も魚釣りをしたことがなかった。子供の頃の魚釣りの楽しい想い出した途端、僕の胸はわくわくした。
小川では”岩魚”が釣れるという。餌のミミズを捕まえて、自転車で渓流に向かった。夕方近くのこの時間帯、隙があれば血を吸おうとする蚊を振りよけながら、こっちも今晩のおかずを手に入れるため、冷たい水の中に足をつけて魚釣りをした。日が落ちるまでにようやく何匹かの岩魚を釣り上げた。雨は一日中ずっと降っている。カッパを着ていても長時間雨に打たれると、水が肌まで染み寒さで体が震えた。僕は生活防水処置がされた腕時計をつけ、携帯時計をポケットに入れていたが、降りしきる雨の勢いに負けたのか、その両方が故障した。そもそも携帯用の電波は届いていないし、時間を正確に知る必要もなかったので、この場所にいる限り、携帯も時計役に立たなかった。
家に着くと、友人は囲炉裏の薪に火をおこした。体は一日中雨に打たれて芯まで冷え切っていた。僕たちは濡れた衣類を急いで脱ぎ、乾いた服に着替え、火おきた囲炉裏の前に横たわった。囲炉裏の火を見ながら次第に体が温まってゆくこの感覚、とても気持ち良かった。湿気が多いせいか、薪も不完全燃焼のため白い煙がもくもくと出て、部屋中が燻製のような独特な臭いに覆われた。さっきまで家のそこらじゅうにいた蛾やハエ、蚊などが、いつの間にかこの煙を嫌っていなくなった。これも昔からの生活の知恵なのかと感心した。早速、釣ってきた岩魚を串にさして焼いた。これが今晩の主食、僕はありがたいと思って頭からがぶりとかじったが、この上なく美味しかった。時計が壊れたので、時間はわからないが、知る必要もなかった。お腹が満たされると、疲労のせいかすぐに眠たくなった。僕たちは、寝袋にくるまり、囲炉裏の火を見ながらビールを飲んでいると、想い出話に花が咲いた。気がつくと僕たちはいつの間にか深い眠りに落ちていた。

本当の幸せ

広島県北部の山村地帯で友人と数日過ごした後、僕は東京に戻った。品川駅のホームには無数の人が黙々と歩いている。たった数日の小旅行だったのに、かなり久しぶりに東京に戻ってきたように思えた。それはこの貴重な体験を通して、僕の魂がリフレッシュされたから、そのように感じたのかもしれない。僕はある程度お金を用意して旅行に出だが、実際に使用したのは交通費と多少の食料費のみだった。山村地帯ではお金を使う場所がないのだから、いくらお金を持っていても全く意味がない。しかし、普段東京でお金を使って何かをする以上に僕はここでの体験に幸せを感じた。逆に、東京のような大都会ではお金がなければ快適に暮らしてゆけない。そのせいか、都会で暮らす人は、お金があれば何でも手に入るとか、お金さえあれば幸せになれると勘違いしやすい。だが、実際にはお金が人にもたらすのは物質的なものであることが多い。人はお金によってもたらされる物質的な物に囲まれても、幸せを感じる生き物ではない。人は物質的な物よりも、むしろ、精神的(スピリチュアル)に充実して、幸せになれる。
たとえば、大都会の人が欲しいものが何かというアンケートの答えは”水、魚、そして緑”だった。今回僕の経験した暮らしには、なんとその3つが見事に揃っている。だから、僕は東京での生活以上に幸せを感じたのかもしれない。合理主義を重んじる米国人ですら夢や憧れにしているのが、”別荘を持ち、薪をくべる暖炉(日本の囲炉裏)の前でたたずむシンプルな生活”なのだ。人々にとって本当の幸せとは、”自然と一体化したシンプルな生活とそこから得られる心の平安”であることを僕はこの体験を通して確信した。