2007年9月26日水曜日
映画“ホリディ”と“エンロン”
“ホリディ”
季節の変わり目のせいか、週末やや風邪気味で、体調がすぐれなかった。こういうときは出来るだけ安静に過ごすのが一番なので、睡眠を多く取るようにした。だが、いくら具合が悪くても、一日中寝ているのは意外にもつらいので、レンタル・ビデオでも見ることにした。一本目はキャメロン・ディアス(メリーに首ったけ主演)、ケイト・ウインスレット(“タイタニック”主演)の“ホリディ”、もう一本は米国エネルギー会社破綻の実態を描いた“エンロン”。“ホリディ”は定番の恋愛映画だが、この手の映画は何度見ても退屈しない。一方、“エンロン”は人がいとも簡単にお金のとりこになるかを描いた実話である。偶然にも相反する内容の2本の映画を見たことで、人間にとって何が大切なのかをあらためて考えさせられた。
“ホリデイ”は次のような内容である。キャメロン・ディアスが演じるのはロス・アンジェルスで映画広告会社を経営する30代半ばのやり手キャリアウーマン、経済的に大成功している。彼女には同業者のボーイフレンドがいるが、ある時彼の浮気が発覚する。お相手はキャメロンの会社の若い秘書だったこともあり、彼に嫌気がさして別れてしまう。彼女は自分を情けなく思い、泣こうとするが、何故か涙が出ない。そのとき彼女は、多忙な毎日に追われ続け、涙も流れなくなった無感動な自分に気がつく。
一方、ケイト・ウインスレットが演じる英国の雑誌記者は、とてもきまじめな女性。彼女は片思いにもかかわらず、ある男性を3年間思い続けていた。この彼は彼女が真面目なのにつけ込んで、二股をかけていた。ある時、彼はもう1人の女性との婚約を発表し、ケイトは失望のどん底に落ちる。気分転換にと彼女はホーム・シェアリング(家ごと、ある一定期間交換する旅行)をウエブ上に公開した。ロス・アンジェルスで同じく傷心のキャメロンが、たまたまケイトのサイトに接触した。彼女たちは意気投合してホーム・シェアリングをすることになり、ケイトはロスへ、キャメロンは英国ロンドンの郊外で、それぞれ2週間暮らすことになった。
キャメロンはロンドン郊外につくやいなや、慣れない田舎暮らしが合わないことに気づき、ロス・アンジェルスに戻ることを決意する。そのとき、ケイトの兄、ジュード・ロウ(コールド・マウンテン主演)がお酒を飲んだ帰りに妹(ケイト)のうちに偶然立ち寄る。二人は出会った途端惹かれ合う。ジュドの出現でキャメロンはしばらくこの地にとどまる決意をした。一方、ケイトは元彼をいまだ忘れることが出来ず、彼から連絡が入ると、ついつい彼との関係復活を期待してしまう。元彼を忘れるはずの旅行だったはずだが、元彼の呪縛からなかなか逃れられない。だが、ロス・アンジェルスで知り合った心暖かい友人たちからの励ましで、ケイトは次第に自身を取り戻す。二股をかけていたプレイボーイの元彼は、ケイトを手放したくないため、ロス・アンジェルスまでケイトにつきあいを続けるよう、説得にやって来た。しかし、ケイトはもう1人の女性と婚約したまま、二股を続けようとする元彼に嫌気がさし、ついに彼を追い払った。このとき、ケイトは自分が呪縛から解かれたことを知り、新しい自分に生まれ変わったことを実感する。その後ケイトは、彼女のことを大切に思う男性と彼と恋に落ちる。
英国にいるキャメロンは、ジュードとの遠距離恋愛を成就させるのは不可能と考えるが、二人は互いにどんどん惹かれてゆく。キャメロンはジュードの自宅を訪ねてみると、彼には二人の幼い娘がいた。ジュドは妻と死別し、育児と仕事に追われる生活をしていた。純粋なジュードはキャメロンのことを心から好きになったことを告白する。2週間は瞬く間に経ち、キャメロンはジュードに別れを告げた。彼女はロス・アンジェルスに戻る車の中にいた。彼との別れを想ううち、長年涙を流したことのなかったキャメロン目から涙がこぼれ始めた。このとき彼女はジュードを本気で愛していることに気づく。車を引き返し、ジュードの元に走りよると、彼の目にも涙が溢れていた。大晦日の夜、ロンドン郊外のケイトの自宅で、旅から戻ったケイトと彼女の新しい彼、キャメロン、ジュードともに4人で楽しい時を過ごす場面で映画は終わる。なんとも心温まる映画だった。
“エンロン”
エンロンは米国テキサスに実在したエネルギー供給会社で、1990年代後半に急成長した。しかし、2002年初頭、“あっ”という間に破綻した。この破綻の原因は何であったのか追求するのがこの映画の趣旨である。話を簡単に要約してみよう。エンロンは日本で言うところの“ライブドア”と同様の問題を起こした。エンロンは設立当初からブッシュ政権と近い関係にあり、その政治力により優遇されていた。一般的にエネルギー供給などのインフラ(人間の基礎生活)に関わる企業に斬新さはなく、利益率は決して高くない。そこでエンロンは会社の将来性を示すため、インドなどの発展途上国に発電所建築のための投資を積極的に行った。しかし、投資のタイミングが悪く、これらは過剰投資となり全て焦げ付き、エンロンは莫大な赤字を抱え込む。困ったエンロンは担当の会計事務所と結託し、粉飾決算を行うことで、売り上げを見かけ上黒字にした。その結果、市場はエンロンを将来有望な会社と判断し、株価は鰻登りで上昇した。エンロン会長やCEO(最高経営責任者)たちは自社株を高値で売り抜け、何百億という莫大な財産を手に入れた。さらにエンロンは規制緩和されたカリフォルニア電力供給に目をつけた。政治力を利用してカリフォルニアの電力供給を減らし、代わりにエンロン供給の電力料金をつり上げ、大もうけした。その結果、電力量を減らされたカリフォルニアでは前代未聞の大停電が起きたことは記憶に新しい。
以上のようにエンロンは粉飾決算で株価をつり上げ、人間にとって最も大切なエネルギーを投機目的に利用し、莫大な利益を得た。この問題を大きくしたのはエンロンに関わる政治家、銀行、会計会社などが、エンロンが悪事を見て見ぬふりをして、エンロン同様に莫大な利益を得ていたことだ。たとえば、投資会社メリルリンチは、エンロンの実態を暴こうとした勇気ある同社投資アナリストを口封じに解雇し、その見返りにエンロンから報酬を得ていたという。カリフォルニア住民が停電で困り果てても、これらの連中は私利私欲のためには一切お構いなし、お金儲けのためには手段を選ばなかったのだ。
人がいとも簡単にお金の虜になるのかこの事件を見ると良くわかる。悪事を働いたエンロンのCEOは、ハーバード大学経営学科を卒業したとびきりの秀才だった。創業当時、彼はエンロン発展のための斬新なアイデアを次々に提案し、やり手起業家として全米でも注目の的であった。しかし、不正なお金儲けという悪魔のささやきに耳を傾け、その才能を悪事に使い始めた途端、道を踏み外した。最初はほんの少しのつもりだったのだろう。人は悪いことにもどんどん順応してゆく。気がついた頃には事態は収集がつかなくなっていた。その結果、最後はその偽りをいかにごまかすかに終始するはめとなった。そして、エンロンの化けの皮がついに剥がれ落ちた途端、株価は急落し、その27日後にエンロンは倒産した。
エンロンの株価操作で生み出された莫大な利益は、エンロン株を高値で売り抜けた一握りのエンロン経営陣人たちの手に渡った。ではエンロンの犠牲になった人たちは誰だろう?それはエンロンの業績を信じ、その株に投資した善良な人たちと、年金すらもらえず即時解雇となったエンロンの従業員たちであろう。エンロン会長、そしてそのCEOは私利私欲のためにこれら善良な人たちを欺いた。その罪は重く、現在53歳の元エンロンCEOは、財産のほとんどを罰金として取り上げられたあげく、懲役24年の実刑で現在服役中である。エンロン会長は公判前に心臓発作で他界している。
お金で買えないもの
たまたま見た2本の映画は“愛”、そして“お金”についての物語であった。どちらも人間が生きてゆく上で切っては切れないものである。人は映画“ホリディ”のキャメロンのように真実の愛に巡り会ったとき、またはケイトのようにバランスの悪い愛への執着を振り切って、普通の愛をつかんだとき、大きな幸せを得る。一方、人はお金を手に入れたとき、お金さえあれば何とでもなると言った尊大な気持ちを持つことが少なくない。言い換えると、お金さえあれば他人は何でも言うことを聞くというような錯覚をする。だが、人は尊敬すべき人の言うことは聞いても、“お金持ちであるだけの人”の言うことに本心から従はない。“お金持ちであるだけの人”に従順なのは、そのお金をつけ狙うしたたかな連中だろう。
このようにお金にはある程度の力があるため、人々はお金を手に入れようと躍起になる。しかし、お金への執着は人を惑わせ、その人格まで変えてしまうことすらある。そして、エンロンCEOのようにお金を追い求めることに心を奪われ、本来の目標を失い、不幸のどん底に落ちる人もいる。人は恋愛感情、愛情など、お金で買えないものこそ本当の価値があることを忘れてはいけない。もしお金になびく程度の愛であれば、それは偽物でしかない。
2007年9月20日木曜日
久しぶりの香港
セレブ・パーティー出席
先日、やや遅れた夏休みをとって香港の友人たちに会いに行った。香港の友人たちとは十仁病院に勤務していた頃、患者さんとして知り合った。午前10時成田発の香港便に乗ると、午後2時過ぎ香港に到着した。到着した土曜の夜、友人の招待で、香港社交界一のパーティー出席が予定されていた。その前に友人に連れられ、香港のカリスマ美容師のいる美容院に行った。美容師は美容外科医と同様、美に対して情熱を持つ職人的な仕事、このカリスマ美容師に自分と同じ臭いを感じた。この美容師が言うには「男性で長髪が似合う人は少ない。短い髪のほうがより自然。」と。僕の髪もかなり短めになった。
香港島にあるグランドハイアット・ホテルに設置された会場は着飾った人たちで豪華絢爛な雰囲気であった。僕自身、めったに着ることのないタキシードで出席した。このパーティーでは華やかな女性の姿が一際目立つ。会場前でフラッシュをたかれながらインタビューをされている女性は、香港で有名な女優らしい。セレブ・パーティーはおしゃれ好きな女性にとって、美を表現出来るまたとない機会なのだろう。僕も一時セレブたちの仲間入りをさせてもらい、その雰囲気に酔いしれた。
香港の歴史
中国の南方に位置する香港は、10年前の英国から中国への返還後も独自の社会体制を維持している。その理由は香港の歴史的背景にある。ここで簡単に香港の歴史を振り返ってみよう。香港は英国との間に起こったアヘン戦争の結果、西暦1898年から1997年までの99年間、英国の統治下に入った。その間、南中国貿易の基地として英国流資本主義を取り入れて、めざましい経済発展を遂げた。1997年の返還直前、香港経済は空前の活況を呈した。しかし、返還後、香港の貿易中継点としての役割が減少し、香港経済の衰退が始まった。現在の香港は、中国からの資本流入により、再び経済発展が活発化している。
英国文化的背景から、香港には階級的社会制度が存在する。僕の友人たちは富裕階級に所属する幸運な人々。彼らは香港の名門家系の子孫たちである。香港は所得税や固定資産税が低く設定されているため、いわゆる資産家たちは代々、その富を継承してゆく。資産家の多くは不動産を所有し、賃貸や売買で莫大な富を手に入れ続けている。日本の場合、所得税、固定資産税が高く設定されているので、香港のように家系的に資産家となるのはきわめて難しい。香港は中国返還後も、母国共産主義とは相反する英国階級制度を維持している。それは中国が経済発展を遂げるにあたって、資産家たちの存在が不可欠であることを中国政府が悟ったからに他ならない。巨額の富を所有する資産家たちを見ていると、一見うらやましい限りだが、彼らは余剰資産で慈善事業や奨学金団体を作り、積極的に社会貢献している。
香港人たちの食生活
中国と言えば世界有数の食文化がある。お客様のおもてなしは決まって美味しい中華料理が主体となる。早速、友人の母宅での会食に招待された。香港の夕食は日本よりやや遅め、夜8時頃から始まることが多い。通常、10品目くらいの料理を、会話を楽しみながら3時間くらいかけてゆっくり食べる。料理に対する情熱は計り知れない。今回は鳥料理が主体で、鶏、鳩、鴨料理が次々に出された。中国では新鮮な食材を重んじ、これらの鳥はなんと生きたまま購入する。そして、購入した生きた鳥たちを目の前でさばいてもらう。そうしなければ本当にその場で購入した鳥が、直前まで生きていたそのものと確認できないからだと言う。なんともグロテスクな話だが、そこまで食材にこだわってこそ、この上なく美味しい料理が出来る。
他に用意されたアワビとフカヒレの煮込みにいたっては、2日間絶え間なく煮込み続けたそうだ。夜中も数回起きて、だし汁を足すほどの気合いの入いりよう。出てくる食事量も半端ではなく、少なくとも平均的日本人の2倍以上は食べている。僕が香港の友人に「そんなに食べて太らないのか?」と尋ねると、友人は「日常生活で使うエネルギーの量が違う。」と言う。確かに、話し声、笑い声がとても大きい。ダイエット原理は食べる量に比例しないことがここでも証明される。つまり、食べる量より、むしろ食物の質や組み合わせによって、体重の増減が起こるのだ。友人は一言「日本人は少食に慣らされていて元気がないよ。」と言ったが、僕もそんな気がしてならない。
今回の旅行で痛切に感じたこと
僕のお金持ちの友人たちに話しを戻そう。お金持ちとはどういった人たちのことを意味するのか?答えは簡単、お金持ちとは何らかの形で莫大な資本を所有し、その資本を運用してお金を自動的に生み出させることが出来る人たちのこと。日本では一般的に“医師や弁護士”がお金持ちのような印象を与えるが、それはあくまで平均的日本人の中での現実的な基準に過ぎない。僕自身を振り返ってみると、それが良くわかる。開業前に比べると比較的余裕のある暮らしは出来るようになった。しかし、自己資産を元にお金を増やすことからはほど遠いし、社会的に貢献出来るほどの余剰資産は、どんなに一生懸命働いても手に入れることは出来ないだろう。本当のお金持ちたちと僕とでは土台が違う。そもそも、お金儲けのために医師の仕事を選んだら、それは“最大の誤り。”と断言できる。美容外科医もその範疇を超えない。何故なら医師が得る報酬は、行った治療行為に対する見返りとして得るに過ぎない。つまり、報酬は自分の仕事量に比例して得るだけである。
本当のお金持ちは、僕の香港の友人たちのように数億の資産を運用して、あっという間に数十億を手にする人たちのことを言う。もし、ゼロからお金持ちになりたいのであれば、金融や株取引など、お金と直接関わる仕事をするか、自分で会社を起こして株式上場するしかない。世間では何故か“美容外科医はお金儲けで行っている。”という印象がもたれている。しかし、実際にはその労力とリスクを考慮すると、お金儲けでこの仕事をしていたら、これほど分が悪い商売はない。
人はお金儲けに執着することが多いが、そもそも、お金を持っているから幸せなのだろうか?お金は幸せになる助けとなっても、お金があること自体が幸せになることと直結しないように思う。たとえお金持ちになったとしても、もし自分が世の中のために何の役に立っていなかったとしたら、そんなに寂しいことはないだろう。お金持ちになった途端、周りから妬まれた結果、かえって不幸になる人も少なくない。
僕は幸か不幸か、お金持ちになる星のもとには生まれてこなかった。香港の友人たちとは土台が違う。彼らのようにお金持ちになりたいと思うことはあるが、それは到底不可能だから考えない方が賢い。そんなことを思いながらこのブログを書いていたら、十仁病院の梅澤院長が僕の様子を伺いにクリニックにいらした。僕は思わず、梅澤院長に「院長、医者の仕事でお金儲けはできませんね。」と言うと、院長は「お前が十仁病院に入ったときに俺が言ったことを覚えているか?美容外科医が世間の評判通り、お金儲け出来ると思ったら大間違いということを。」僕は「それは本当だったと実感しています。」と答えると、院長は「でもな、医者は金がそんなに儲からなくても、きちんと仕事すれば人から尊敬される貴重な仕事だよ。ありがたいと思って一生懸命仕事しなさい。」と言った。“人は自分に与えられた才能と能力を発揮して、人から感謝される仕事をしてこそ幸せになれる。”ということを忘れないようにしたい。そんなことを感じながら、香港での短い夏休みを過ごした。
2007年9月4日火曜日
女性の特性
最近増加した男性患者たち
僕のクリニックは目の周りの治療を受けに女性ばかりでなく、男性もしばしば訪れる。多くの場合、顔のたるみ、目の周辺のくま、たるみを気にして来院する。その数は全体の10%程度だが、最近その割合が増えている。男性の場合、女性ほど美意識は高くなく、鏡で自分を眺める時間はそれほど多くない。したがって、よほど美意識の高い男性を除いて、自分から目の周りのたるみに気づく機会はあまりない。男性患者の多くの場合、周りの人から「目のくまがひどいけれど、最近疲れているの?あまり寝ていないのでは?」などと指摘され、目のくまの存在に気がつくことがほとんどである。
営業担当の会社員は、疲れて見えることが仕事上まずいことすらある。例えば、営業マンに目の周りに明らかなくまやたるみがあると、その営業マンから商品を買う顧客はどう思うだろうか?顧客は次のように思うかもしれない。“あの営業マンは、目にくまを作って、疲れ果てているようだけれど。それはあの商品が売れないから、夜寝る暇もなく働いているからでは? ”と。このように男性の場合、仕事に支障を来すと言った切実な理由で治療を受けに来ることが少なくない。
男性の場合、あまり美意識が高すぎると、“ゲイ(同性愛)ではないか?”と疑われることがある。元来、日本には“男たるもの、容姿など気にかけるべきでなく、生き様こそ大切である。”との考え方があった。終戦後日本には“産めよ、増やせよ。”をスローガンとする高度経済成長時代が訪れた。欧米経済先進国に追いつくため、日本人は血眼になって働いた。この間、日本男性が自分の容姿を気にする余裕は全くなかった。例えばこの厳しい時代に生きた昭和一桁生まれの父は、髪を洗うのにシャンプーさえ使ったことはなく、死ぬまで常に石けんで洗っていた。
だが、近年日本も豊かな時代になり、日本人男性も容姿に気を使う余裕が出てきた。もはや“男の容姿は二の次。”などとは言っていられなくなった。現代社会は大量生産経済が終わって、情報技術中心の効率良い経済が求められるようになった。それは量から質の時代の到来を意味しており、個人の価値(個性)が問われることを意味する。すなわち、我々は自分に付加価値をつけ、差別化を図らなければ厳しい競争社会に生き残れなくなったのだ。男性たちがそれなりの容姿を保つことも、そういった意味で大切な個性の一つになってきた。
男性の知らない女性の洞察力
一般的に、女性は男性よりも洞察力に優れていると言われる。言い換えると、男性が女性を観察するよりも、女性が男性を観察する方がより詳細を見極める。女性が男性を観察する場合、その容姿だけでなく、行動の癖からその男性の臭いのはてまで、男性が放つ情報をくまなく察する。女性は本能的かつ動物的に男性を観察するため、その男性が生理的に許容範囲かどうかで、その相手を異性として対象にするかどうか判断する。どんなにその男性の社会的地位が高く、経済的に裕福でも、彼が彼女の生理的許容範囲外の場合、男性は決して女性本当の意味で受け入れられることはない。もちろん、女性は男性からの経済的支援を理由に生理的許容範囲にない男性を不本意に受け入れることもあるかもしれない。逆に、男性が女性を見極める場合、生理的嫌悪感を示すのは稀である。つまり、男性こそ女性に嫌われぬよう、身だしなみや容姿など十分に注意を払わなければならい。
では、何故女性はこのように鋭い洞察力を備えているのだろうか。それは有史以来、女性は子育てを続けてきたからに他ならない。赤ちゃんは言語能力がなく、具合が悪くても言葉で訴えることが出来ない。つまり、母親は子供を良く観察し、いち早く不具合を察する能力がなければ、健康な子供を育てることが出来なかった。そのため、女性には鋭い観察能力の遺伝子が備わってきたのだろう。
この洞察力は恋人や夫の不審な行動をも容易に見極めることが出来る。例えば、夫が浮気をしていたとしよう。もちろん、夫が浮気相手の電話番号やメールを証拠としてどこかに残していれば、浮気が発覚するのは当然かもしれない。しかし、女性は背広についた香水の臭いを嗅ぎ分け、浮気の兆候を察することもある。例えば、妻が夫に「あなた、今晩は遅かったわね。どこにいらしたの?」と尋ね、夫が「うん、ちょっとね。」とためらいながら返事をした場合、夫のその不自然な態度から浮気を見破りかねない。
男性より鋭い観察力を持つ女性たちに囲まれて生きる男性たちのほとんどは、この女性の優れた特性を知らない。もし、その存在を知れば、男性たちはもっと抜け目のない行動をするようになるかもしれない。同時に、男性たちは女性に嫌われない容姿や身だしなみを保つ重要性をより一層認識すべきだろう。もう一度言うが、女性は生理的に受け入れない異性には目もくれない生き物だから。
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